前田利家編EPISODE TOSHIIE MAEDA
利家は加賀のイメージが強いが、実は中川区荒子町の出身。
若かりし頃は、織田信長の「うつけ仲間」として、けんかっ早く異様な出で立ちで派手な長槍を持って歩いた為、皆、道を避けて歩いたと言われている。そんな利家の生誕〜青年時代を感じられるのが、この荒子町界隈だ。
利家は「犬」と呼ばれ、信長や秀吉からも可愛がられたキャラだった。
前田利家の肖像画はたくさん残っているが、幼少・犬千代と呼ばれた頃の肖像画は珍しい。また、犬千代の銅像が建っているのも生誕地・中川区荒子だけ。秀吉の「猿」に対して、幼名から「犬」と呼ばれ、多くの武将から信頼され親しまれた。信長と共に、幼少の頃は「うつけ」、青年期は「傾奇者(かぶきもの)」として知られ、その斬新で奇抜な感性は、加賀百万石の絢爛豪華な武家文化として今日まで残っている。
犬千代銅像/あおなみ線「荒子」下車
尾張四観音の「荒子観音」には、利家の想い入れが垣間見られる
荒子観音の創建は天平元年(729)と伝えられる。壮大な伽藍を備えた寺であったが戦乱などによって荒廃した。しかし、天文5年(1536)に多宝塔が再建され、天正4年(1576)に利家が本堂を再建するなどし、江戸時代には尾張四観音の一つとなった。多宝塔は名古屋市内に現存する最古の木造建築物。
荒子観音寺/地下鉄「高畑」下車10分、あおなみ線「荒子」下車10分
利家生誕の聖地、荒子城址「前田利家生誕地(富士権現天満社)」
荒子城は、天文年間、前田利昌の築城と伝えられている。規模は狭い平地に簡単な塀や堀をめぐらし、敵を見張るため屋根の上に櫓を設けただけの砦程度のものだったと言われている。城内には、冨士権現社と天満宮が祀られ、今に残されており、利家が府中に移る時、荒子観音寺の本堂を再建。荒子七カ村(屋敷)には、祭に使用する馬道具(ばどん)を残していった。
富士権現天満社/地下鉄「高畑」下車10分、あおなみ線「荒子」下車10分
加賀百万石のふるさと。前田一族の発祥地「前田城址(速念寺)」
寺伝によると、当寺はもと天台宗に属していたが、天文12年(1543)、中興の意休法師の時、真宗に転宗した。意休は俗名前田利則といい、加賀公前田利家の叔父にあたる。本尊は利家が寄進した阿弥陀如来で、その蓮台には「聖徳太子御作、前田又左衛門尉利家」の銘がある。また、当地は前田氏発祥の地で、境内には前田古城跡の石碑がある。当時の前田氏は蟹江、一色、荒子を傘下に収めていた。
速念寺/近鉄「ふしや」下車5分