前田慶次編EPISODE KEIJI MAEDA

伝説的な慶次の生誕地と巨大な太刀を拝む

慶次は前田利家の甥にあたる。当初、前田家を継ぐ予定であったが、織田信長の命で家督が利家に渡り、荒子城を出奔する。各地を転々としながらも「武と雅」を磨き、傾奇者(異様な振る舞いをするといった意味の「傾(かぶ)く」から使われた言葉)として名を馳せる。時の天下人、豊臣秀吉からも「天下御免の傾奇者」の称号を与えられた慶次の、貴重な史跡を訪ねてみよう。


前田慶次が青春時代を過ごした前田家の居城、「荒子城址(富士権現天満社)」

前田慶次は織田家の重臣・滝川家の出身といわれ、生没年については諸説ある。幼少の時に時期当主候補として前田当主・前田利久(利家の長兄)へ養子に入り、ここ荒子城で育った。当時、前田家は織田信長に仕えており、傾奇者の気風など大きな影響を受けたと思われる。現在、荒子城址には、富士権現社と天満宮が祀られている。前田慶次が育った城として、ファンの注目を浴びている。

富士権現天満社/地下鉄「高畑」下車10分、あおなみ線「荒子」下車10分

加賀百万石のふるさと。前田一族の発祥地「前田城址(速念寺)」

前田氏発祥の地といわれる。ここには前田城主前田興十郎の墓や前田家の歴代の墳墓、前田村記念碑がある。山門額には「梅廼寺」と書かれ、境内のあちこちに前だけの家紋である梅鉢紋を見ることができる。慶次との関係性は薄いが、利家の出生については、この前田城で生まれ7歳のときに荒子城に移ったという説がある。

速念寺/近鉄「ふしや」下車5分

熱田神宮宝物館には、前田慶次の遺品、唯一の「太刀」が奉納されている。

熱田神宮の宝物館には、天正9年6月に荒子の住人前田慶次(利家の兄利久の子利益)が「末口」と銘のある太刀を奉納した記録があり、この太刀ではないかと考えられている。前田慶次は小説や漫画で有名になった武将で、その生涯は謎に包まれている。遺品もほとんど残っておらず、太刀に関しては唯一である。

  • 収蔵品は常時展示しているわけではありません。

熱田神宮/名鉄「神宮前」下車3分、地下鉄「神宮西」・「伝馬町」下車7分

前田慶次聖地巡礼マップPILGRIMAGE MAP

  • 収蔵品は常時展示しているわけではありません。