「講談を通じて、今の伝統芸能の有り様を知った。ほんに良き経験となった。」
「講談を通じて、今の伝統芸能の有り様を知った。ほんに良き経験となった。」
前回又左衛門利家である。
わしは、伝統芸能である講談に取り組んだ。大阪の旭堂南鱗師匠に教えを請い、名古屋で活動する女流講談師古池鱗林殿を姉弟子として、大須を拠点に活動し、辻講釈を常として行なった。目標は、10,000 人の前でオリジナル講談を行うことであった。
「演芸の聖地、大須演芸場に立つ。」
印象に残る戦場は、大須演芸場。束海地区唯一の寄席であり、芸どころ名古屋の中心。
この舞台に立てた事は誉れであり芸人として名を馳せる人々が立ってきた場所。まさに大須の聖地である。
苦しかった事は、伝統芸能というだけあり多くの者達の期待を裏切れないという重圧であるな。これには常日頃押しつぶされそうになっていた。
嬉しかった事は、「面白かった」と金言。これに尽きる!自信をもらえる瞬間であったな。
「講談を通して伝統芸能を知った。」
この活動を行って良かったことは、大須において儂を知っていてくれる者達が増えた事。
講談を通じて今の伝統芸能の有様を感じられた事。何より師匠、姉弟子と出会えた事じゃ。
また今回、画板に本丸御殿と同じ木材が使われたり、黒檀は古池鱗林殿から譲り受けた物であり、多くの協力を得たことが嬉しかった。
「わしが思う地元愛とは。」
魅力の再発見。それが、わしが思う地元愛じゃ。きっとわかっていたはず。けれど、過ごす内にそれが当たり前となり誇れる物でなくなってしまっていたのではないかと思う。
だが、それが当たり前でないとわかった時に改めて魅力として認識出来た。名古屋の町に関しても、こないに多くの魅力ある街であるということを知らなんだ!だが、それと同時に街でも知らない者が沢山いた。
故に思うのは、名古屋は「宝の眠る街」という事である。
「次は、史跡を巡り歴史を伝えたい。」
残念ながら目標は達成せなんだが、この一年間の活動は、ほんに良き経験となった!中々人生でも出来る経験ではない故、健にとって厚みを増す良い機会であったと考える。
儂の講談を機に初めて聞いた者にはこれからも変わらず講談を愛して欲しい。無論、わしも愛して参る。
次の目標は、東海地区の史跡を巡りたい。そしてその街の歴史を伝えたい
「『宗春』 時代、全固から大須に芸人が集結。」
時は江戸の享保年問、暴れん坊将軍・吉宗の時代じゃ.吉宗の倹約令に対抗して、尾張の殿様・徳川宗春が芝居や祭りを推奨するなど「町が元気になる政治」を行ったんじゃ。すると、全国から役者、芸人、職人が集まり押すな押すなの大盛況!ぞれが「芸処なごや」の原点である。