六大武将ゆかりの名古屋 武将の聖地を歩く

トップ 豊臣秀吉編

秀吉は名古屋に生まれ、信長と共に戦国時代を駆け抜けた

現在の中村区で生誕した秀吉は、青年期から信長が自刃するまでの約30年もの間、信長に仕え忠義を尽くした、いわば信長の右腕であった。大阪のイメージが強い秀吉であるが、中村区を中心として史跡や遺品が数多く残っている。日本一出世した男の足跡を、信長の気配を感じながら歩んで欲しい。

  • 秀吉の生誕地「豊国神社(中村公園)」には、秀吉ゆかりの史跡が多い 秀吉の生誕地「豊国神社(中村公園)」には、秀吉ゆかりの史跡が多い

    名古屋市中村区中村公園内にある豊臣秀吉を祀る神社。全国に豊国神社は数多くあるが、ここが豊臣秀吉の生誕地である。江戸時代、秀吉を祀ることは禁じられていたため、明治になり運動が盛んになり、明治18年に創建された。社殿東側には「豊公誕生之碑」が建ち、参道には中村の大鳥居がそびえる。
    5月中旬の太閤祭りでは、「太閤頭巾行列」「出世稚児行列」が催され、また太閤太鼓も奉納される。

    中村公園/地下鉄「中村公園」下車10分
  • 名古屋城築城の際、加藤清正が秀吉を偲び建立した「常泉寺」 名古屋城築城の際、加藤清正が秀吉を偲び建立した「常泉寺」

    「太閤山」と号する日蓮宗の寺。誰よりも豊臣秀吉を崇拝していた加藤清正が、一族の円住院日誦上人を招き、秀吉の生誕地に建立した。ご神体は、肖像束帯唐冠の木像で、清正が大坂城の豊臣秀頼から譲り受け、この地に鎮座した。境内には、秀吉誕生の時に使われたといわれる「秀吉産湯の井戸」や小田原征伐の帰りに、秀吉自らが植えたと伝わる「秀吉手植えの柊」がある。加藤清正の生誕地と隣接している。

    常泉寺(中村公園内)/地下鉄「中村公園」下車10分
  • 名古屋市秀吉清正記念館秀吉の甲冑「色々威二枚銅具足」鎮座する 名古屋市秀吉清正記念館秀吉の甲冑「色々威二枚銅具足」鎮座する

    秀吉の甲冑。兜は僧侶がかぶる頭巾をデザイン。さらに僧が手にする「払子(ほっす)」を頭にさしている。名古屋市秀吉清正記念館は、中村区に誕生した二人の武将、豊臣秀吉、加藤清正に関する資料を収集、展示する歴史博物館。常設展は、信長、秀吉の天下統一から豊臣家が滅亡するまで。特集展示、写真パネル展は随時開催。
    ※収蔵品は常時展示しているわけではありません。

    名古屋市秀吉清正記念館(中村公園内)/地下鉄「中村公園」下車10分
  • 秀吉の身の危険を知らせる、時代の逸品「青磁香炉銘千鳥(せいじこうろめいちどり)」 秀吉の身の危険を知らせる、時代の逸品「青磁香炉銘千鳥(せいじこうろめいちどり)」

    豊臣秀吉の枕元に常に置かれていた香炉。秀吉に危険が迫ると啼いて報せるという。かの大泥棒・石川五右衛門が秀吉の寝室に忍び込んだ際も、千鳥が啼いて報せたと言われている。秀吉から直接、家康に伝わった。徳川美術館は、家康の貴重な遺産をはじめ、天下人の遺愛品や尾張徳川家歴代藩主の遺品など一万数千件を収蔵。国宝9件、重要文化財57件、重要美術品46件など、まさに全国随一の武家文化の殿堂。
    ※収蔵品は常時展示しているわけではありません。

    徳川美術館/なごや観光ルートバス「メーグル」「徳川園・徳川美術館・蓬左文庫」下車すぐ、JR「大曽根」下車10分
  • 三菱東京UFJ銀行貨幣資料館では、秀吉の「天正大判」を収蔵 三菱東京UFJ銀行貨幣資料館では、秀吉の「天正大判」を収蔵

    豊臣秀吉は、天下を統一して全国の金銀鉱山の採掘権を一手に握り、積極的に開発を行った。その結果、世界に類のない豪華な重さ44匁[165グラム]の大金貨、天正大判(てんしょうおおばん)が鋳造された。元和元年(1615年)、大坂城落城の際、家康の手にはいった黄金の大法馬(だいほうま:大判1000枚分で1個44貫目165キロ)は50余個もあったと伝えられている。

    三菱東京UFJ銀行貨幣資料館/なごや観光ルートバス「メーグル」・「文化のみち二葉館」下車5分

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